7. 不安障害と強迫性障害
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1. 不安の役割と病理
1-1. 不安とその意義
そわそわして落ち着かず不快な心の状態
内心の主観的な違和感だけでなく、動悸・発汗・悪心・食欲不振といった自律神経系の変調や、視線の動揺・体動の増加といった行動上の変化など、何らかの身体的な表現を伴う事が多い 不安が募ってくると「居ても立っても居られない」といった焦燥感に至ることもある 不安には特定の事柄をめぐるものもある
身体の不調で詳しい検査を受け、結果が判明するのを待つ間の不安などはその例
一方では、漠然として理由のわからない不安もある
不安は不快な感情であるから、誰しもこれを解消するために何らかの対処行動をとる
不安が介在することで対処行動への動機づけが高まり、対処がより迅速になっている
恐怖は不安と似ているが、いっそう差し迫った鋭い情動であり、より切迫した具体的な危険と結びついている 自然のなかで獰猛な野生動物に出くわす場面を想像すればわかりやすい
恐怖はこれに伴う交感神経系の反応とあいまって、危険な状況からの速やかな離脱を促すとともに、そのために必要な身体機能を瞬時に動員する意義をもつ 恐怖は不安以上に耐え難いものであるが、だからこそヒトの生存や適応に不可欠の役割を果たしてきた 不安や恐怖のこのような意義は、身体の次元における痛みになぞらえることができる
痛みの強さやパターンが生理的におおよそ決定されているのと比べ、どんな場合にどれほどの不安を感じるかは先天的に決まっている部分もあるものの、成長過程で学習する部分が大きい 社会経験の乏しい少年少女が、好奇心や軽率さから犯罪事件に巻き込まれたりする背景には、しばしば不安をめぐる学習体験の不足が関与している
不安は生理的現象であるとともに、学習によって形成される心理社会的現象でもあって、そこに時代や文化の影響が反映されることになる
1-2. 不安の病理と神経症
このように不安は社会適応上、必要かつ有用な心理現象であるとはいえ、強すぎたり長く続いたりすれば、それ自体が苦しい症状となっている
不安の原因が不明な場合や、原因が簡単に解消できない場合などは特に苦痛が大きい
そのように量的または質的に通常の範囲を外れた不安は、精神疾患の経過の中で頻繁に現れるものであり、そのパターンにはさまざまなものがある table: 表7-1 不安をめぐるさまざまな病理
不安の特徴 疾患の例
1 不安の成り立ちは合理的であるが、不安の程度が強くて苦しい 適応障害 なかでも表2, 3は不安をテーマとする精神疾患の代表的なものであり、伝統的に神経症と呼ばれてきた フロイト(Freud, S)の創始した精神分析学において、神経症は心理的な原因によって発症する心因性疾患と考えられ、各疾患の発症メカニズムについて精緻な理論が編み出された その後、こうした理論に合致しない所見が多く指摘され、より中立的な視点からこれらの疾患を見直すため、DSM-IVおよびDSM-5は神経症という言葉そのものを廃止 これに関してはさまざまな議論があった
2018年似公表されたICD-11は概ねDSMと一致した名称を採用している table: 表7-2 神経症関連疾患の分類と名称
以前の名称 DSM-5における名称
2. 不安・恐怖を主症状とする疾患
2-1. 恐怖症(phobia)
恐怖症(phobia): 現実には危険のない対象や状況に対して、いわれのない強い恐怖を抱くもの 特定の対象や状況に対するいわれのない恐怖
対象は人によって多彩
特定の動物をはじめとして、雷、飛行、暗闇、高所、閉所、血液など
ただし、危険な毒ヘビの生息する地域の住人が、ヘビの居そうな草むらを恐れるのは、現実の危険に対する当然の恐れであって神経症ではない
無毒・無害とわかっていても理屈抜きに恐いのが恐怖症
軽度のものまで含めると、限局性恐怖症は精神疾患のなかでも最も頻度が高いものと推測される
限局性恐怖症は比較的若い時期に形成され、長期にわたって症状の動揺が少ないもの
多くの患者は苦労して症状を克服するよりも、日常生活のなかで恐怖の対象を回避する工夫をしているようである
ヘビ恐怖の患者にとって、都会のマンションに住むか田園地帯に住むかは大きな違いであり、仮に症状が重くとも落とし部に住む限りは特に治療の必要もないであろう
社交場面のように、比較的少人数の集団内で注目されることに対して強い不安や恐怖を抱くもの
そうした状況を回避する結果、職業や学業における機能低下や、地域生活の困難を生じることになる
架空の症例(p.108~p.109)
社交不安障害の症状は、自己評価の低さや批判に対する恐れと関連するものと考えられている
青年期に初発することが多いのは、この時期における自意識の高まりと自信の乏しさを考えれば理解しやすい
症状や重症度はさまざまであり、他人との食事や異性との出会いなど特定場面に限定されるものから、ほとんどすべての社会状況に拡散するものまである
社交不安障害は性格的なものと思われがちであるが、もともと社交的な性格の者に生じることもあり、性格とは別の問題
社交不安障害に似た現象として日本で昔から対人恐怖と呼ばれてきたもの 「自己の外見や動作が他者に対して不適切または不快であるという思考、感情または確信」をもち、「このために対人状況についての不安と回避を生じる」もの
社交不安障害が他社から受ける評価への懸念であるのに対して、対人恐怖は他者に治して不快感を与えることへの恐れが中心
両者の微妙な違いに文化的な背景が反映されているという指摘もある
仮に不測の事態が起きた際に、脱出したり助けを求めたりできないような場所や状況に置かれることへの恐怖
広場恐怖という名称は翻訳に由来するもので、現代の日本では広場よりも電車などの閉鎖空間を思い描くと理解しやすい
限局性恐怖症とは対照的に、人生のある時期に何らかのきっかけで症状が発生することが多いとされる
実際には次に述べるパニック障害に続発する場合が大半であり、治療もこれに準じて行う 2-2. パニック障害(panic disorder)
症例p.110~111
動悸・息苦しさ・めまい・冷や汗などの自律神経症状が突発し、同時に強い不安を生じるのがパニック発作であり、そのような発作を反復するのがパニック障害 初回の発作は何の前触れ無く突然に生じるもので、特定の場所に限らずどこでも起き得る
「このまま死んでしまうのではないかと思った」などと表現されることが多い
心臓発作などの疑いで救急搬送されることが多いが、パニック発作の持続時間は数分から数十分なので、病院に着いた時にはあらかたおさまっており、それから検査を行っても異常は見つからない
そのような場合には苦しい思いをしながら原因がわからないため、不安がいっそう募るこおになる
パニック発作が続くと患者は「また起きるのではないか」と予測をめぐらせて不安になる
予期不安は危険に対する警告信号であるが、それ自体が1つの不安であるため、パニック障害の症状を増強したり、発作の呼び水になったりして悪循環を起こしやすい
不安が昂じて電車などに乗れなくなるのは前述の「広場恐怖」の一型であり、パニック障害ではきわめて生じやすい
広場恐怖は日常生活に著しい困難をもたらすものであり、これを背景に本格的な抑うつ状態に陥るケースもある
パニック障害の発病危険率は1~3%とも言われ、かなり頻度が高い
男性よりも女性に多いとされるが、男性では受診に至らないケースが多いことによる
かつては抗不安薬が第一選択とされたが、常用量依存の危険が認識されるにつれ継続的な処方が控えられるようになった 一部の抗うつ薬には抗パニック作用があり、抗うつ薬には抗不安薬のような依存の危険がないことから、現在ではこれらの抗うつ薬が第一選択薬として推奨されている
心理教育を行うことは、得体のしれない発作性疾患で狼狽しているパニック障害の患者に対しては特に有益であり、また必要である 初期治療が迅速に行われて発作が抑制されれば予後は良好であるが、対応が遅れて予期不安とパニック発作の悪循環を生じ、広場恐怖や抑うつ状態を併発してからでは、治療の効果があがらず長期化することが珍しくない
パニック障害は、以前は不安神経症と呼ばれ、「神経症は心因性疾患である」との考え方に沿って、不安原因を幼少期に遡って探索することもあった 現在では、自律神経の暴走とも言えるパニック発作のメカニズムを生物学的な方向から検討する検討する研究が盛ん 治療に関しても時間をかけて不安の原因を詮索するより、まず苦しい発作を薬物療法や生活の工夫で抑えることが先決と考えられている
時には症状がおさまってくるにつれて、背景にあった不安や葛藤が語られることもあり、そうした場合にはあらためて精神療法的な対応が必要となる
2-3. 全般性不安障害(generalized anxiety disorder)
不安神経症と呼ばれたものの急性発作型がパニック障害であるのに対し、慢性型にあたるのが全般性不安障害 特に合理的な根拠のない慢性的な不安が長期にわたって出没するのが特徴
症例 p.113
主観的な不安感ばかりでなく、発汗・動悸などの自律神経症状や振戦・緊張性頭痛などの運動性緊張症状を伴い、それが主訴となって内科などを受診することも多い 全般性不安障害は女性に多く、しばしばストレス因に影響されて症状が動揺し、長期化することが少なくない
もともと心配性であるとは限らず、元来は明るい性格の人がふとしたことやライフイベントがきっかけで発症することもある
小児にも見られ、症状として身体的な訴えを繰り返すことが多いという
対症療法的に抗不安薬が処方されることが以前は多かったが、経過が長期にわたることもあって常用量依存を生じる危険が大きく、現在では推奨されない 薬物とりわけ抗不安薬の処方は必要時の頓用にとどめ、発症状況やパーソナリティ特性に応じて適切な精神療法敵援助を行うことを優先すべき
全般性不安障害など不安の臨床において、特に注意しておきたいこと
不安という感情は健康な日常生活において必要なもの
ところが、過剰で病的な不安を低減し除去する治療を行っているうちに、すべての不安を取り除くことが治療の到達点であるかのような錯覚を患者が抱き、時には治療者もこれに巻き込まれてしまうことがある
治療の終わりが見えてこなくなり、薬物療法を終結することも難しくなる
これを裂けるためには、患者と治療者との間で治療の目的について随時確認することが重要
3. 強迫性障害(obsessive-compulsive disorder)
「自分でも不合理だと思いながらも特定の観念や衝動を抑えることができず、強いて抑えようとするとかえって不安が強まる」という一連の現象を指すもの
その背後に不安が隠されているものと考えられる
症例 p.115
安全や確実さをめぐる脅迫的不安(強迫観念)が生じ、その防衛としてガスの元栓や鍵を際限なく閉め直す確認強迫(強迫行為)が出現している
強迫行為は厳密な規則にしたがって行われ、その回数に関してこだわりが生じる場合が多い
強迫症状の他の例
対象性や正確さに対するこだわり
自分自身の言動についての懸念
卑猥なことや暴力的なことが頭に浮かび、そうしたことを人前で言ったり実行したりするのではないかと心配になる
強迫性障害は、思春期・青年期に発症することが多い
発症率に男女差はなく、10代の発症例では男性の方がやや多いとの報告がある
神経症と呼ばれていた疾患は概して女性に多いので、男女差のないことはこの障害の一つの特徴
以前にはまれな治りにくい病気であると考えられていたが、実際には有病率がかなり高く、その中には治療に反応してよくなるケースも少なくないことが最近の研究で報告されている
几帳面でこだわりの強い強迫性格の結果とみなされがちであるが、実際にはどんな性格の人でも発症の可能性がある
また、患者の約半数は何らかのストレスフルなできごとに続いて発症しているとの指摘がある
強迫性障害の患者の少なくとも一部に対してクロミプラミンやSSRIなどの抗うつ薬が有効であり、強迫症状の改善が期待できることがわかってきた 行動療法では、患者の強迫観念や不安を扱うのではなく強迫行為に焦点を合わせ、現状を綿密に評価したうえで問題行動を段階的に減らしていくことを目指す
行動療法は薬物療法と同程度あるいはそれ以上に有効であるうえ、効果がより長続きするとも言われる
強迫性障害では初期において治療への抵抗が見られることが多いので、薬物療法や行動療法の開始に先立って患者の心理や置かれている状況をよく理解し、十分な説明を行って動機づけに努める必要がある
予後はさまざまであり、治療によって患者の半数は中程度の軽快を示し、残りの半数のうち、顕著に軽快するものと普遍ないし悪化するものとが半々であるとの報告がある
強迫性障害やその傾向は他の精神障害と合併することがよくある